大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和43年(オ)341号 判決

上告人

河徳成

代理人

村上直

被上告人

横打俊太

上郎澄子

代理人

村田武

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人村上直の上告理由第一点および第二点について。

借地法一〇条による建物買取請求権が行使された場合におる建物の買取価格は、建物が現存するままの状態における価格であり、その算定には、建物の敷地の借地権そのものの価格は加算すべきではないが、建物の存在する場所的環境を参酌すべきものである(最高裁昭和三四年(オ)第七三〇号・同三五年一二月二〇日第三小法廷判決、民集一四巻一四号三一三〇頁参照)。ところで、このような場所的環境を参酌した建物の価格は、所論のように、敷地権の価格に対する一定の割合をもつて一律に示されるものではなく、また、所論の収益還元法に依拠してのみ定めるべきものでもなく、要するに、建物自体の価格のほか、建物およびその敷地、その所在位置、周辺土地に関する諸般の事情を総合考察することにより、建物が現存する状態における買取価格を定めなければならないものと解するのを相当とする。

これを本件についてみるに、原判決は、上告人が建物買取請求をした昭和四〇年五月一日現在における物理的な本件建物自体の価格が四〇万五〇〇〇円ないし四五万九〇〇〇円であることのほか、これに加えて、その所在場所の交通の便、周辺土地の利用状況、本件建物および敷地の使用目的、面積、ならびに過去における取引価格など、適法に認定した諸般の事情を総合して、右の日現在における本件建物の価格は一三〇万円をもつて相当とする旨判断しているのであつて、右価格は、場所的環境を参酌した本件建物の価格として相当なものということができる。原判決は、所論のように、昭和三三年二月二八日当時の取引価格のみをもつてただちに右買取請求時における本件建物の適正価格と認定したものではないから、この点に関する論旨は、原判決を正解しないものであり、また、原判決が所論の各鑑定の結果を排斥した判断も、前示のところに照らし、正当として是認することができる。したがつて、原判決の認定・判断に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(田中二郎 下村三郎 関根小郷 天野武一 坂本吉勝)

上告代理人村上直の上告理由

原判決は次の各点に於いて、判決に影響及ぼすこと明らかな法令解釈を誤つているか、理由不備又は理由齟齬の違法がある。

第一点

一、原判決は借地法第一〇条の買取請求の目的となつた建物の時価について「建物が現存する状態でその所有権を取得するために要する売買の価格であると解するのが相当である」とし「その価格算定に当つてはもとより法律上の権利としての借地権の価格は加算すべきでないが、その建物の所有者が享受する事実上の利益、別言すればその建物の利用価値を念頭におくことが、必要であつて、その為には……当該建物をとりまく一切の場所的環境を参酌しなければならない」旨判示している。

二、右の判断は、昭和三四年(オ)第七三〇号・同年三五年一二月二〇日最高裁第三小法廷判決例を踏襲するものであつて、ただ目新しいのは建物の時価とは建物が現存する状態でその所有権取得のために要する売買価格であると解している点である。之は建物の時価算定について一種の具体的基準を示した点で従来の判決例と異なるものである。

元来、借地法第一〇条の買取請求価額の算定は極めて困難且つ不明確なものであり、前記最高裁判所の判例でも、その価額は建物を取りこわした場合の物理的価額でない点は明白であるが建物の利用価値や場所的環境を考慮に入れなければならないと述べているけれどもも、所謂、建物の利用価値や場所的環境の価値は、具体的にはどのようにして算定したらよいのか実務的には、極めて抽象的であり、あいまいであるとの批難を免れない。その価格の決定は裁判官の自由心証により判定されざるを得ないので、結局その考え方も種々であり、その価格も個人差により影響を受けざるを得ないのが実情である。かくては裁判に要求される衡平の原則に反し、国民の法に対する信頼期待を満足せしせるものではない。

三、価格の算定は経済的数額に関するものなる故に、数理上の公式を要求することは不可能なことであるけれども、その算定を無原則な裁判官の主観的裁量に委せておくことは科学的でなく、学術文化進展のした今日の社会に適合しないと思料されるものである。

少なくとも、その価格の算定方式の基準があつて然るべきであり、その意味に於いて不動産鑑定に関する理論的実証的研究に俟つ他はないのである。

四、現在の買取請求権に関する鑑定理論及び鑑定業界に於いて広く採用されている鑑定方法によれば、借地法第一〇条の時価は建物そのものの物理的価額に場所的環境の対価を加算したものと解し、その価額算定の方法として建物固有の価額については、所謂復成式評価法により算出しているが、この方法自体には何等問題はないが、その場所的環境の対価の算出方法については意見が分れている。

即ち、(1)収益還元法(2)土地価格の割合説(米田説)(3)取引価額説以上三説に大別出来る。

収益還元法は、対象不動産が将来生みだすであろうと期待される純収益の現在価格を求める方式であり、標準的な年間純収益を通常家賃収入を基準として計算し、還元利回りで資本還元して対象不動産の価額を求めるもので第一審にて、蔵元二治不動産鑑定士が採用している方式である。

土地価額の割合説は借地権に相当する価額を占有権の対価と場所的環境の対価・場所的利益の対価に分析し、建物が占めている土地利用度の割合を以つて算定するもので、第一審の丸橋達司不動産鑑定士が採用した方式である。

五、取引価額説は原審判決の見解である建物が現存する状態でその所有権を取得する為に要する売買の価格を呼称するものである之を算定方法と解することは困難であるけれども、本件物件が昭和三三年二月二八日金一三〇万円にて売買され、土地所有者に対する借地権譲渡の承諾料は別途計算となつている事実に着目して、右の取引価額を以つて、買取請求額と認定していることから考えると、巷間にて通常取引される借地上の建物の売買代金の内、所謂借地人名義書換料又は借地権利金(以下借地権譲渡承諾料と言う)を含まない正味の売買価格であると解しているようである。

蓋し、通常行われている建物の売買価格には、地主の承諾が受けられるであろうことを前提として借地権価額を含むことが通例であり、借地権の名義書換料は売主の義務として、負担せしめているもので、その場合には原審の見解では、所謂、借地権譲渡承諾料相当額を差引いた金額を以つて、買取請求価格と認定しているのであろうか。

若し、そうであれば、その旨明確に理由を明らかにすべきであつて、単に「所有権を取得するために要する売買の価格である」と判示している原審判決は極めて趣旨不明瞭な表現である理由不備のそしりを免れない。

六、原審の解釈による所有権の売買価額は客観的取引価額でなくてはならないこと理の当然であると思料されるが、それにも拘らず、原審の価格の認定は客観性を有しない。

それは判文上明白なように上告人が訴外榎本より買取つた価格であつて、それは特殊価格と言うべく客観的証拠とはなし得ない。何故ならば、蔵元二治の鑑定書によると昭和四〇年五月一日現在の借地権価額は九、二九三、〇〇〇円と評定しているが右の価額と比較考量すると余りにも低額に過ぎること明白であるからである。

七、借地法第一〇条の建物の時価は買取請求権行使の時点に於ける時価でなければならないこと学説判例上争いのないところであるが、原審判決は、一応右の時価は上告人が買取請求をなした昭和四〇年五月一日当時の時価であると判示しながらその認定価額は、その判文上明白なように、昭和三三年二月二一日訴外榎田が上告人に売渡した当時の代金であつて、之を以つて昭和四〇年五月一日現在の時価とは決して謂うことが出来ない。

その間に七年の年月を経過し、地価の上昇や場所的環境の利益の著しい増加は当然に予想されるのであるから、原判決は審理不尽ひいては理由不備又は理由齟齬の違法がある。

第二点

一、原審は前記の通り借地法第一〇条の建物の時価は、「建物現存の状態での所有権取得に要する売買価格」と解釈し、鑑定人丸橋達司が採用した場所的利益は借地権価額の二五%であるとの鑑定結果はその根拠は必ずしも明らかでないと排せきした。

原審は借地権価額の二五%とすることは借地権価格を加算していると解しているようであるが、右の借地権価額は算定方法として便宜上借地権価額を借用して、その割合により算出したものに過ぎないのに拘らず、之を借地権そのものの価格を算入していると誤解しているようである。

場所的利益は所有権にも借地権にも建物自体の属性として存在すると解すべきものであつて、借地権から独立して存在するものではないからである。

従つて、借地権価格から場所的利益を割合的に割出す算定方法は決して誤っているものではない。

二、場所的利益は借地権価格の二五%とする根拠は明らかでないと謂うが、それならば東京周辺地域の住宅地の借地権の価額が所有権価額の七〇%ないし八〇%と考えられていることは周知の事実であるが如何なる根拠からかような割合となるのかこれ亦不明であると言わなければならず、右の二五%と割合を以つて算定することは借地権の場合と同じように何等怪しむに足りない。

右のような場所的利益を借地権に含まれる対価の割合を以つて示す算定方式は米田敬一氏の所説(同氏著不動産鑑定評価と実践二六四頁参照)であつて、過去の実証的研究の結果から価格算定の一つの指針を示しているものである。

おもうに、右の様な方法は原審の所説である建物所有権取得価額と一脈通ずるもので、実証的且つ合理的根拠を存すると信ずる。

借地上の建物の売買に当りては、その代金の決定に当つて需要供給の原則に支配されながら建物自体の価格(建物自体の価格は、むしろ算入しない事例は極めて多いが)と借地権に相当する価格を合算しする場合が極めて多いが、右金額の内には、地主に対する借地権利金又は借地名義書替料(承諾料)を含んでいるので、その承諾料に該当する価額を差引いた正味の価格を以つて建物の取引されていると考えられる。故に借地権価格に含まれる借地承諾料の割合を実証的に調査すれば、自らその割合は合理的に算定可能となる筈である。

三、地主に対し通常支払われる承諾料は借地権存続の有効要件であり、之に相当する部分を除外した価格は場所的環境の利益と観念すべきであり、建物の借地権を含まれない取引価格であると考えられる。或いは、かような価格は借地権自体の価額であつて場所的利益の価格ではないと論ずるかも知れないが、借地法第一〇条の立法趣旨が建物の効用を完うさせる社会経済上の要請と地主の権利乱用を予防する効果を附与せしめているところから勘案すれば加罰的に場所的利益を過少評価すべき理由はない。

借地権の譲渡は譲渡当事者間に於いては法律的に有効であり、然るが故にその建物の価格の内に借地権価額に相当の割合を占める価格を考慮して取引されているものであつて、建物の場所的又は収益的価値は地主の承諾如何に拘らず存在するもので、地主の不承諾により、その価値が霧消するものではない。

かかる価値の存在を前提として借地法第一〇条の規定が存在すると解釈しなければならない。

四、改正借地法第九条の二は借地権者が賃借権の目的たる土地の上の存する建物を第三者に譲渡せんとする場合に於いて、賃貸人がその賃借権の譲渡又は転貸を承諾しないときは、裁判所は承諾に代わる許可を与えることが出来るとし(第一項)裁判所はその裁判をなすには、賃借の残存期間、借地に関する従前の経過(借地権利金授受の有無など)譲渡転貸を必要とする事情その他一切の事情を考慮することを要す(第二項)と規定している右の条項は借地権の譲渡転貸承諾料を公の機関で決定せんとするものであつて、勿論、借地権が有効に存続していることを前提としているので前述の様に建物の売買価格より承諾料を差引いた価格が、所謂、場所的利益の対価とはいい難いが、場所的利益の増大を物語つているもので、規定の新設は借地権価格と場所的利益の価格との近似性を指摘し得るものである。

併しながら、無断譲渡の場合の買取請求価格を右の建物売買価額より地主の承諾料を差引いた正味の価額と解することは、借地法第九条の二・三項の場合も同法第一〇条の場合も結果は同一となり均衡を失するので、第一条の買取価格は、いきおい第九条第三項の買取価格より僅少ならざるを得ないのである。

かかる意味からも、丸橋鑑定人が本件建物の場所的利益の対価を借地権の二五%と認定し、前記米田説によれば、一般的に住宅地では借地権価格の47.5%、商業地では六五%程度が適当であると解しているものである。

原判決は以上の様に場所的利益が借地権価格に占める割合について、之を誤解したか認識を欠いた結果、之を採用せず、何等客観性のない一三〇万円の取引価額を以つて、借地法第一〇条の建物の時価と認めたのは、法律の解釈を誤つたか、理由不備の違法がある。

五、原判決は蔵元二治鑑定人が採用した収益還元法による算出方法は之により算出された価値は、借地権のあることを前提としているかないしはその価値の相当部分は借地権の価値に包含されるものであるから是認出来ないとしている。

原審の見解は前述の様に場所的利益の対価は借地権から全く独立して別個に存在すると解しているが、建物が地上に存在する以上はその存在する法律関係の如何に拘らず経済的にそこに場所的利益や価値を認め、之を建物と一体をなす属性として法的にも之を認め様とするのであるから、借地権価格にそれが包含されているとしても決して不思議はない筈である。

買取請求価格に借地権の価格を算入してはならないと言うことは、借地権全体の価格を算入してはならないということであつて、借地権はその全体の価格があつてこそ借地権と謂うべくその内の一部だけの価格では借地権ではなくなると考うべきである。

結局、原審は場所的利益の算定に当つて、収益還元法による算出方式を拒否することに帰するので、原審の見解は誤つている。

六、之を要するに、原判決は買取請求価額は建物の所有権取得に要する売買価額であると解釈しながら、何が建物買取価額であるのか肝心の問題に於いて判然とせず、それは借地権の価格を加算しないで、一切の場所的環境を参酌して算定すべきであるとするが、借地権価額に割合的に占めている場所的利益の価格を否定するのみならず、収益還元法による算定方式も否定し、結局、原審は地主の承諾料を差引いた建物だけの取引価額であるとして認定していることは、借地法第一〇条の買取請求に於ける建物の時価についての解釈を誤り、依つて、客観的でない不合理な買取価額を認める結果となつたものである。

以上

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